徳得不動明王 
建立

’04.5.7 up date

あじさい曼荼羅園に
『徳得
(とくえ)不動明王様』を建立!


災厄を祓い、福徳を授けてくださる『徳得(とくえ)不動明王様』を建立致しました

あじさい曼荼羅園内に建立された徳得不動明王様
平成15年10月15日 建立

徳得(とくえ)不動明王様

徳得不動明王様

 当山第19世眞全和尚の妻・トクヱ(昭和54年寂 享年71歳)の名前は、お年を召された信者様の記憶に残っている方もおありかと思いますが、私の母でございます。
 昭和17年の戦時中、眞全和尚と共に奈良県より当山に入山致しました。その時、父は42歳、母は37歳でした。翌、昭和18年病弱だった二人に結婚して15年目に授かった子供が私だったそうで、それはそれはいたく感激した父母は報恩謝徳のため、無住で荒廃していたこの寺をなんとか復興したいと決意したと聞かされております。戦後の物のない、又、電気も水道もなく参拝者のほとんどいない当時の寺の維持管理は、窮乏と忍耐の連続で、病弱な2人は日夜必死の思いでお観音様におすがりしながら、父は69歳、母は71歳までこの世に生かせて戴きました。この両親の生き様が、一人となってしまった私のお手本であり、又、教訓として私を支えてくれたのです。
 昭和40年頃、母はこの寺を桜の園にしようと桜の苗を千本植えました。添え木をし、肥料を施し、消毒をしたりして2・3年もすると人丈程の大きさに成長していました。ある時、その苗木が地上から20p位のところで刃物のような物で切り倒されているのに気付き、山全体を調べてみるとなんと900本近い苗が切り倒されているではありませんか。「一体誰がこんなひどい事を・・・」と母は茫然となり、ショックで寝込んでしまった程でした。山に詳しい方が「野ウサギと鹿の仕業でしょう。山に食べるものが無かったので美味しい桜の新芽を食べたのでしょう。」と教えて下さいましたが、もうどうする事も出来ませんでした。現在、境内のあちこちで咲いている桜は、その時の野ウサギと鹿の害をまぬがれた苗木が大きくなったものです。
 その後、母は紅葉を植えたり、さつきを植えたりして境内の美化に黙々とつとめました。
 あじさいに魅せられた私共は十年程前より「あじさい園」を境内に作ろうと計画して植栽を重ね、今では一万株を越えるようになりました。平成14年に「をぐりサミット」が当地で開催されたのを機に「あじさい曼荼羅園」を開園するに至りました。今年になりその遊歩道に六地蔵様とお不動様をお祀りしようという声があがり、それぞれにお施主様も決まり開眼させていただくことが出来ました。その折、お不動様を寄進して下さった方より「徳得不動明王(とくえふどうみょうおう)」とふりがなをつけて建立して欲しいとのご要望があり、私は「えぇっ!とくえとは私の母の名前では・・・」と驚き、一瞬声が詰まってしまいました。40年前、桜の園にしたかった母の無念の気持ちが、今、あじさいという花に種類は変われども、丸く丸くなろうとする優しい心のあじさいの園の中で、安らかに、また、しっかりとお山をまもって下さるのだと感激致しました。
 そして父が果たし得なかった当山の復興も、近年、信者皆様方の絶大な御支援とお力添えによりまして立派に完成させて戴きました。また、母の念願であった境内の美化も順次進められております。
 当山の霊験あらたかなお観音様の御威徳を信者皆様方と分かち合いながら、また、御支援戴きました皆様方の真心をしっかりと受け継ぎ、お観音様に報恩謝徳を努めてまいりたいと存じます。至らぬ私共でございますが、今後ともよろしく御支援の程、お願い申し上げます。                                              
  合掌  
現住職の母 教照 記

徳得不動明王様を御寄進戴きました信者様には、この場を借りて厚く御礼申し上げます



あじさいの種類については
あじさい まんだら
をご覧下さい


あじさい曼荼羅園の場所は
救馬溪観音の境内にあります
救馬溪観音の場所はこちら





トップページに戻る